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無題

京都のデビサバオンリー行ったり、そのついでに観光したり色々楽しかったです(*´∀`*)
7月のアナコンもありがとうございました。
夏コミは出ませんのでデビサバでは次は確実なのは来年2月のアナコンでしょうか。冬コミはまだ申し込みからどうしようか迷っている。


ユリ熊嵐漫画版が凄かったので感想をたくさん書きました。
元々森島先生の百合漫画は大好きだからアニメもキャラデザしかも幾原監督って事で見てたんですけど、漫画版独自の設定と展開で進みつつアニメと同じテーマに収束させたらとんでもないラストになったよ……みたいな衝撃を受けた。
まあ個人の感想の長文です。長過ぎるので続きからに折りたたむ。





ユリ熊嵐漫画版がとにかく凄かった件


ちょっと前に最終巻が出た漫画版ユリ熊嵐の感想です。
アニメだけ観てたなーって人にただのコミカライズじゃなかったぞって言いたい系な長文。
漫画版、アニメ版双方のネタバレを含みますので注意。
あくまでも個人の感想です。



ユリ熊嵐はヒトとクマの絆の物語である。
ヒトとクマは長い間戦争をしている。
ヒトはクマを撃ち殺し、クマはヒトを食い殺す。そんな世界で幼い頃偶然出会ったヒトの紅羽とクマの銀子は、紅羽の母澪愛の助けもあって友情を育むが、やがて銀子はクマの世界に帰っていく。
断絶の壁で隔てられた二つの世界に生きる者達は最早混じりあう事はない。
時が経ち、銀子は紅羽に会いにヒトの姿を借りて壁を越え、ヒトの世界へやって来る。しかし母澪愛をクマに殺された紅羽はクマを憎むようになり銀子の事も覚えていなかった。同じ頃、紅羽の通う学園ではヒトに化けたクマ達が暗躍し、生徒達を狙っていた……。
この作品ではヒトは理性や抑圧の象徴であり、クマは欲望や性愛の象徴である。憎い相手を食い殺し、邪魔な相手を食い殺し、愛する人さえ食べてしまいたいと思うクマはヒトと共存する事は出来ない。銀子も紅羽を「食べたい」と思っている。
ヒトの理性は同じ価値観を持つ者達で結束する事で保たれている。「違う者」を排除する事で結束を強める彼女らはいつも共同体の中の「異物」を探している。銀子やるるとの交流を通してクマの全てを憎めなくなってしまった彼女はヒトの世界からも浮いた存在となり、やがて排除すべき存在とされる。
ヒトとクマだから一緒にいられない。銀子に人間になってほしい。そう思っていた紅羽だが、その考えこそが傲慢であると突きつけられた時彼女は自分の過ちを知る。紅羽が長く固執してきたクマへの憎しみや自分の価値観を越えた時、奇跡が起きて彼女は銀子と同じクマとなる。

漫画版は大きく設定を変えてクマが存在しない世界での物語だ。銀子もるるもユリーカも人間で、共学になった学園にはクマ裁判の三匹も学園の生徒会メンバーとして登場する。
みんな人間なので誰もクマに食われないし死なない。アニメ版で食われたヒトも撃たれたクマも皆生きていてそれぞれの恋模様や友情を育む姿を見られる。
しかし漫画版世界でも銀子だけは自分がクマだと自認している。彼女にとって世界はクマであり、クラスメイトを含む殆どの生きものがクマに見えている。彼女は学園でただ一人人間に見える紅羽に興味を持つ。
他人と関わるのが苦手で想像力が豊か過ぎるきらいのある紅羽は、自分に関わってくる銀子をクマの宇宙人だと思いこむ。しかしその誤解がきっかけで彼女は銀子と親しくなり、銀子を介してクラスメイトにも興味を持つようになり彼女の世界は広がっていく。ここでのクラスメイトもアニメとは違い過剰な排除はしない。無愛想な相手には積極的に関わらず、友好的な相手とは仲良くする。人間関係の問題は抱えていたりするが、どの子も普通の高校生達だ。
世界に心を開いた紅羽にクラスメイトは優しかったけれど、周りをよく見るようになった事で紅羽は銀子こそが世界を拒絶しているのではと気づく。
銀子への興味はやがて恋という形をとって紅羽の中で膨らんでいく。恋心を自覚した紅羽は積極的だ。自分から銀子にキスをしようともする。それは一見アニメとは逆のように見えるけれど、紅羽の愛し方を見れば彼女がヒトに与えられた「理性」という役割を担っているのは明らかだ。
るるが「くれちんは愛されて育ったんだね」と言うように、紅羽の愛し方はとても健全で正しい。好きな人には思いを伝え、相手の幸福には何が必要だろうかと考える。好きな人に好きになってもらえたら嬉しい、一緒に幸せになりたいと願い、その為に行動する。
一方の銀子は紅羽には決して言えない「罪」を抱えた罪グマである。紅羽を好きな気持ちを一度ははっきりと自覚した彼女だが、紅羽に関わってはいけないという思いから自分の愛情を押し殺そうとする。
彼女がそんなふうになったのは母の影響だ。母の心の傷とそこからくる歪んだ認識をそのまま受け継いだ銀子は、自分がクマだと自認し愛する人を傷つける事に脅えている。その思いは幼き日の「澪愛の死」によって更に強化されてしまう。
クマは存在しない。故に銀子のそれは妄想である。銀子も自分の見ているものが他の人間達とは違うと自覚しているが、「みんなからみたらこれは異常」だからといって自分の見ているものを否定しようとはしない。銀子にとってはヒトがクマに見える妄想こそが現実なのだ。
紅羽とるるはそれを知っていて銀子の妄想に合わせた言動を取ろうと決めた。高校生の少女達が誰にも相談せずに導き出した対処法としてはかなりよく出来た部類だと思う。おかしな事を言う友達を排除も否定もせず、当たり障りなくごく普通に接する。出来る事はないからただ側にいる、という二人は銀子にとってどんどん大切な存在になっていく。
紅羽とるるは銀子の妄想の原因を探ろうと決め、銀子の母カレについて調べ始める。カレとユリーカと澪愛。母親世代の恋とその顛末が語られる中で銀子の抱える「罪」も明らかになっていく。
カレもユリーカもそれが銀子の罪だとは思っていない。だがそれは銀子にとって「(紅羽を愛する者としては)決して許されない罪」だった。この罪と対峙し、紅羽がそれでも銀子を好きだという思いを確かにする。設定も展開も違えど、アニメも漫画版も銀子の「罪」が重要な要素である事は間違いない。
紅羽は銀子を許す。それでも銀子は紅羽の世界では生きられない。
だから紅羽は銀子を自分の世界のヒトにしようとするのをやめて、自分がクマになる。
アニメと漫画版共通のラストだ。アニメでは紅羽はクマリア様の力で物理的にクマになるが、漫画版ではクマは存在しないのであくまで紅羽の脳が世界をどう認識するか、という変化だ。しかしそれは紅羽一人の変化ではなく、これを境に銀子の目にも紅羽はクマとして映るようになる。形は違えど、「紅羽が銀子の世界を選ぶ」ラストは同じだった。
この同じラストを漫画版でやるというのが衝撃だった。
アニメではヒトとクマは戦争をしている。生き方は全く違えど戦争出来るぐらいだから対等な敵としてクマ達は存在している。紅羽が銀子と同じクマになるというのは、国を越え文化を越えて愛する人の世界に飛びこむという、ある意味国際結婚のような予定調和だった。紅羽はヒトの世界から排斥されつつあったのだし、クマとして大好きな銀子と生き直す選択は全くおかしな事ではなかった。
しかし漫画版では誰も銀子と紅羽を排斥しようとはしていない。母や叔母も歪みはあれど銀子を大切に思っている。銀子が心を開きさえすれば人間の世界は彼女を受けいれて輝いただろう。まして銀子の「クマ」は妄想なのだ。紅羽だって「心の傷はどうすれば治せるのか」と考えたぐらいだから銀子の妄想が心の傷に由来するのは紅羽もよく解っているのだ。
紅羽の愛は理性的だから、大好きな人の心の傷を癒したいと考える。
心の傷に特効薬はない。銀子の妄想を受けいれてつかず離れず側にいられれば、ユリーカとカレのように時間が傷を癒し、馴れあいが本物の愛情に変わるかもしれない。けれど紅羽は銀子が苦しむのを良しとせず、彼女と同じクマになる事で恋を成就させた。ちょっと唐突な展開にあれやっぱりクマのいる世界なんだっけ……と思わされるぐらいだったが、ユリーカに愛を感じたカレの目からクマが消えた事実がそれを否定する。
クマは世界からの疎外感の現れであり、ヒトの世界の理を受けいれられないという生き方の象徴だった。理性の象徴ともいえる紅羽にとってクマになるというのはありえない選択だ。「銀子は傷ついて心の病気になった」のだから治ってほしいと考えていた紅羽が「銀子と同じクマになる」のはアニメ版のそれよりもずっととんでもない選択だった。
二人はこれから人間がクマに見えるクマとして生きていく。カレのようにいつか呪いが解けるのか、それとも一生二人はクマのままなのか。どちらにせよ漫画版世界にクマの国が存在しない以上、二人と同じ景色を見て同じ理に生きる存在はもう他にいない。
二人ぼっちなクマ達はしかし不幸ではないのだろう。るるやユリーカ達理解者がいて、クマのまま学校にも通っている。そして最後に彼女らは全ての始まりとなる人の痕跡を見つけた。紅羽は銀子の傷を自分のものにしたまま、彼女と共にその人を捜す過程できっと幸せになるのだろう。そんなラストだった。
原作であるアニメに沿っただけなのか、それとも森島先生の作為のうえなのかは解らないけれど。
心の傷は癒すもの、いつか癒えるもの、本人が乗り越えるまで見守るもの。そんな当たり前の正しさをかなぐり捨てて紅羽は銀子の側へ飛びたつ事を選択した。自ら狂気を求めたともとれるクライマックスに悲愴さや後ろめたさは欠片もない。アニメを観ていた者からしたら予想通りの展開でありながら、その選択はとにかく凄いとしか言いようがない。ユリ熊嵐の漫画版は凄い。凄かった。
アニメしか観てない人はすぐ読むべきだと思う。というか終盤の衝撃の展開もだが、中盤の澪愛とユリーカとカレの三角関係もたまらない。ユリ熊嵐漫画版はとにかくおすすめである。
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